2013年7月13日土曜日

イケダハヤトさんの記事は適法な引用だと思う・・・今のところは

イケダハヤトさんと私の会話がきっかけで、イケダハヤトさんが以下のエントリを発表されています。
解釈には幾分の余地があるものの、たしかに、これは「引用」ではないでしょう。「引用文章が50%を超えたら『主従関係』といえないので『引用』ではない」というご意見もいただきました。
【中略】
でも、そのことの、何が悪いんでしょうか?「引用に当てはまらない」ということは、悪いことなんでしょうか?
「無断転載」の何が悪いの?より引用
上記エントリのきっかけは、私の以下のツイートだと思います。
この文章は、下記のイケダハヤトさんのツイートに答えたものです。
著作物の引用については、著作権法の第32条に規定されています。
(引用)
第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
このうち、「正当な範囲内」が抽象的な表現なので、文化庁のQ&Aサイトのリンクを参照しました。該当箇所を引用します。
 「引用」とは、例えば自説を補強するために自分の論文の中に他人の文章を掲載しそれを解説する場合のことをいいますが、法律に定められた要件を満たしていれば著作権者の了解なしに引用することができます(第32条)。この法律の要件ですが[1]引用する資料等は既に公表されているものであること、[2]「公正な慣行」に合致すること、[3]報道、批評、研究などのための「正当な範囲内」であること、[4]引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること、[5]カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること、[6]引用を行う必然性があること、[7]出所の明示が必要なこと(複製以外はその慣行があるとき)(第48条)の要件を満たすことが必要です(第32条第1項)。[2]と[3]の要件については、判例で明確になっており、少なくとも自分の著作物と他人の著作物が明瞭に区分されていること(引用部分の明確化)、自分の著作物が主体であり、引用する他人の著作物は従たる存在であること(主従関係)、引用しなければいけない相当の理由があること(必然性)などが必要です。
著作権なるほど質問箱より引用(強調は引用者)
この「主従関係」を根拠として「50%を超えるとNG」という表現をしてしまいましたが、実際には単純な分量(文字数?、バイト数?、誌面の面積?)で主従関係が決まるわけではなく、引用の正当性については、最終的には裁判所が判断するものであろうと考えます。
しかも、以下のように、主従関係は必須要件ではないとする判決もあります。
ただし知財高裁平成22年10月13日(鑑定証書カラーコピー事件)判決においては主従関係は要件とされていない。
引用 - Wikipediaより引用
この判決については、知財高裁のサイトに情報があります。西尾さんに教えていただきました。ありがとうございます。
 Yが各絵画の縮小カラーコピーを作製したことは著作権法における「複製」に当たる。
 しかしながら,Yが控訴審において新たに追加した,同法32条1項の「引用」として許されるものであるとの主張につき検討するに,引用としての利用に当たるか否かの判断においては,他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか,その方法や態様,利用される著作物の種類や性質,当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない。しかるところ,本件においては,鑑定対象の絵画を特定し,鑑定証書の偽造を防ぐためには,鑑定対象である絵画のカラーコピーを添付する必要性・有用性があること,著作物の鑑定業務が適正に行われることは,著作物の価値を高め,著作権者等の権利の保護を図ることにつながること,本件のカラーコピー部分のみが鑑定証書とは別に分離して利用に供されるとは考え難いこと,カラーコピー付きの鑑定証書は絵画と所在を共にすることが想定されており,絵画と別に流通することも考え難いこと,著作権者が絵画の複製権を利用して経済的利益を得る機会が失われることも考え難いことなどの事情によると,本件のカラーコピーの作製は引用として許容されるものである。
http://www.ip.courts.go.jp/iphanrei/pdf/20101014105927.pdfより引用(強調は引用者)
にも関わらず、文化庁や多くのサイト、その他の説明で、主従関係を要求しています。例えば、朝日新聞の引用に関する注意書き。
1. 質的にも量的にも、引用する側の本文が「主」、引用部分が「従」という関係にあること。本文に表現したい内容がしっかりとあって、その中に、説明や補強材料として必要な他の著作物を引いてくる、というのが引用です。本文の内容が主体であり、引用された部分はそれと関連性があるものの付随的であるという、質的な意味での主従関係がなければなりません。量的にも、引用部分の方が本文より短いことが必要です。「朝日新聞デジタルに次のような記事があった」と書いて、あとはその記事を丸写しにしたものや、記事にごく短いコメントをつけただけのものは引用とはいえません。
朝日新聞デジタル:著作権についてより引用(強調は引用者)
それでは、文化庁や朝日新聞(および多くの解説)では、なぜ、法や判例よりも厳しい引用の要件を要求しているのでしょうか。

朝日新聞の注意書きは自社の利益を守るためとも解釈できますが、それに加えて、著作権にまつわるトラブルを減らすために、法のギリギリのラインを示すのではなく、少し安全を見たラインを示しているのだと私は解釈しています。
というのは、著作権法第三十二条が抽象的な書き方であり、「公正な慣行」など簡単に示せるものではありません。このため、多少解釈がぶれても法を犯すことがないように、安全側に倒した条件が一般には解説されているのだと考えます。また、知財高裁の「他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか,その方法や態様,利用される著作物の種類や性質,当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない」と言う条件も引用行為の度に判断するのは煩雑です。そのために簡便な判断方法として「安全側の条件」があるのでしょう。

私がイケダハヤトさんに「明らかに駄目でしょう」と言ったのは、この一般的に用いられる「安全側の条件」に対してであって、それが著作権を侵害しているかというと、そこまでは言えないと考えます(但し、私は権利を侵害された立場でもなく、法の専門家でもないので、これはあくまで私見です)。

ただ、私を含め、ライターの多くは著作権上のトラブルに巻き込まれるのはまっぴらだと考えていて、そのため安全側の条件を守って記事を書いているのだと私は考えます(私以外のライターについては推測)。

まとめると下記のようになります。いずれも私見です。
  • イケダハヤトさんの記事にあるのは「無断転載」ではなく引用であり、著作権侵害とまでは言えない
  • しかし、一般的に用いられる「安全側の基準」は満たしていないので危なっかしい感じがする
  • 徳丸としては、安全側の基準をイケダハヤトさんに知ってもらいたかった
  • しかし、イケダハヤトさんは「無断転載上等」という発言をされ、徳丸の意図は裏目に出てしまった
ということで、イケダハヤトさんは現時点では著作権侵害や違法行為はないと考えています。余計なお世話かもしれませんが、せめて今のラインで踏みとどまっていただきたいというのが徳丸の希望です。

2013年7月4日木曜日

イケダハヤトさんへの手紙 : 敵意ある他者との対話について

ブログ記事「イケダハヤトさんの『他人を批判するときにユーモアを使うのは「卑怯」です』の感想」に対してイケダハヤトさんからメールいただいたことがきっかけとなり、以下のようなメール(一部)を頂戴しました。
特にツイッター、ブログ上で敵意ある他者と対話する際に、何が必要だとお考えになりますか?ああいった場合の対話の方法について、明文化したいんです。
その返信をイケダハヤトさんの許諾を得て公開します。Webとして読みやすいようにHTMLタグを整えたことと、誤字を修正したこと、プライベートな内容を伏せた他は原文のままです。


日時: Sun, 30 Jun 2013 22:20:08 +0900

イケダハヤトさん
徳丸です。メール拝見しました。

対話の話題に入る前に、批判の話から始めたいと思います(編注:イケダハヤトさんのブログエントリ『プロブロガー・イケダハヤト流「批判の作法」』を想定しています)が、批判記事に関しては私もガイドラインを持っていまして、Tumblrで公開しています。
批判記事を書く場合のガイドライン
  • 批判するだけでなく読者に有益な情報を提供すること
  • 十分な検証など批判に根拠をもたせること
  • 読んで面白い記事にすること
  • 必ず一晩以上寝かせてから公開すること
ってな感じでやっていますが、中々難しいですね。最近は数日寝かせる場合も多いです
批判記事を書く場合のガイドラインより引用
Tumblrを今見たら48リアクション(主にリブログ)いただいていますので、それなりに支持をいただいたものと思っていますが、「こうしなさい」とか「こうするといいよ」と言うものではなく、あくまで自分のためのガイドラインです。

上記に加えて、私にとっては当然の前提なので明記していませんが、「人格攻撃をしない」というのがあります。もっと言えば、「人物批判」もしないことにしています。ネガティブな人物批判と人格攻撃は区別がつきにくいからです。では、何を批判対象とするかというと、その方の記事や行動などです。つまり、「人」ではなく、「もの」や「こと」を批判することにしています。そうすれば、表現さえ誤らなければ人格攻撃にならないからです。
私はセキュリティ業界ではけっこうキツイ批判記事を書いていますので、逆に批判されることはあり、その中で人格攻撃めいたことを書かれることもあります。そうすると、私も弱い人間なので、かっとなって人格攻撃をしてしまう可能性があります。そのために、2つのことをしています。
  • 十分な検証など批判に根拠をもたせること
これは、私が書く記事が技術的な内容だからですが、2つの意味があります。1つは自分が間違っているかもしれないのに、見当外れの反論を書かないためです。
もう一つは、記事に説得力を持たせるためです。批判合戦の優劣を決めるのは読者だと思っていますので、記事の説得力はその意味でも重要です。
  • 必ず一晩以上寝かせてから公開すること
これは、冷静さを欠いた記事を公開してしまわないための自制として実行しています。また、一晩置くと、冷静な目でガイドライン違反をしていないどうかを確認することができます。

さて、「対話のガイドライン」というのは特に考えたことはないのですが、対話においては(も)「相手を尊重する」ということが大切だと思います。
もっとかみ砕いて書くと、以下のようになるかと思います。
  • 相手が正しく自分が間違っている可能性を常に考慮する
  • 相手の選択を尊重する
  • 相手のプライバシーを尊重する
1番目は自明ですよね。ただし、これを認めることは辛いことでもあります。しかし、当然のことでもあります。

相手の選択を尊重するというのは、説明が必要かと思います。
物事には通常メリットとデメリットがあります。メリットのみが存在する場合は、誰もがそれを選択するので、それを議論する意味がありません。デメリットしかないものも同様です。
しかし、大半のことにはメリットとデメリットがあるので、議論が必要になるわけです。
具体例で説明した方がいいですね。例えば、イケダハヤトさんは以前、持ち家と賃貸住宅を比較して、賃貸の方がよいという記事を書いておられました(参照)。

しかし、持ち家のメリットもあるわけです。簡単に言うと、持ち家の方が、平均的なトータルコストが安くつくことです。言い換えれば、同じ費用を掛ける場合は、持ち家の方が優良な物件に住むことができます。
一方、持ち家のデメリットもあります。それは、イケダハヤトさんが書かれていたように、リスクが大きいことです。したがって、リスクを許容できるまで小さくできる場合は、持ち家が有力な選択になるわけです。
一方、賃貸住宅の家主は、持ち家を持つことのリスクを抱えています。そのリスクは家賃に乗せているわけです。

さて、イケダハヤトさんの記事に戻ると、以下のように書かれています。
これからは日本の人口がバンバン減少していきます。このグラフを見て、持ち家を変える人の気持ちがいまいちわかりません。マゾなのですか。今から約35年後、2050年には1億人切っちゃうんですよ。
持ち家志向が低下中!バブル期から値段が変わらぬ「家賃」の下落に期待より引用
かなりキツイ調子で持ち家の人をdisっていますね。ここには、物事にはメリットとデメリットがあり、さまざまな選択があり得るという配慮が欠けています。
そして、リスクを負う人が選択をするわけなので、その方の選択は尊重されるべきだと思います。たとえば、イケダハヤトさんがサラリーマンをやめてフリーランサーになるというのは、イケダハヤトさんの選択であり、そこにはメリットとデメリットがあるでしょうが、他人がとやかく言えるものではありません。それと同じことです。

今日イケダハヤトさんが対話のテーマにしていた実名か匿名かという問題もそうですね。両者にもメリットとデメリットがあります。なのに、匿名の方が「逃げ道を用意している」とか「後ろめたいことがあるからではないか」とか失礼にもほどがあると感じました(私は実名で活動していて、他人事ではありますが、結構怒りながら読んでいました)。
私は実名でネット活動していますが、実名ゆえのリスクはあります。・・・ここに実際にあったトラブルを書きましたが公表は控えます・・・。さきほどの持ち家のリスクに例えるならば、「実名にはそれだけのリスクもあるのに、実名でネット活動するなんて信じられない」という言い方も可能なのです。

自分はたまたま実名で活動している(イケダハヤトさんの場合は厳密には実名に近いハンドルネームかと思います…少なくともプロフィールにはご本名書いていないですよね)としても、匿名(ハンドルネーム)で活動している人には、それぞれの事情があるのだろうなと思いやることが大切ではないでしょうか。

最後のプライバシーについてですが、当然のことのように思われるかもしれませんが、「なぜ実名で活動しないのか、逃げ道を用意しているのか」と問い詰めることは、プライバシーを明かせと脅迫しているように読めてしまいます。そのような呼びかけに「対話」しようとする人はほとんどいないと思いますよ。

次に、イケダハヤトさんが書かれていた4項目に対する感想を書きます。
  • 敬意、興味感心、覚悟
これはよいと思いますが、「覚悟」ってなんでしょうね。対話はもっとカジュアルにやってもよいと思いますが。
  • 対話という行為が攻撃的であることを自覚し、相手がそれに耐えられるか勘案する
「対話という行為が攻撃的である」と言うところが分かりません。前述のように、対話はもっとカジュアルなものだと思います。対話が白熱した議論に移行すれば攻撃的になる可能性もある(しかし攻撃的でない議論もあります)わけですが、最初から身構える必要はないと思います。
また、「相手がそれに耐えられるか」というところに、「自分は正しく・強い」という前提があるように感じました。こういうのを「上から目線」というのだと思いますが、イケダハヤトさんは上から目線がお嫌いなのかと思っていました。
  • 相手がはじめから逃げ道を用意することを許容する
前項後半に同じ。
  • 基本的に最初にこちらから質問しない
これは、意味がよく分かりません。最初から質問すること自体はよいと思いますが、相手が答えやすい質問の選択や、雰囲気作りができると良いと思います。

以上です。
メールなのであまり推敲しておりませんので、不明点などがあればご連絡ください。


下記の商品を購入しました。昨日15:00販売再開というお知らせを、タイミング良く(悪く?)たまたま14:50頃に見てしまいましたw ただ、元々欲しいと思いつつ先延ばしにしていましたので丁度良い機会でした。でも、到着は一月後ということです:) アフィリエイトは記事の内容とは関係ありません。